日本の画家(備忘録)
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没 |
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87 | 京都相国寺で修行したが、肌に合わず山口に都落ち。48歳の時に遣明船の一員になり、中国(明)に渡り足かけ3年各地を回り中国の画法を学んだ。 |
《国宝》秋冬山水図 《国宝》破墨山水図 (東京国立博物館) |
生没年不詳 |
狩野派(日本美術史上最大の派閥。足利家、織田信長、豊臣秀吉、徳川家のお抱え絵師。400年の活動期間)の2代目「元信」の次男。東寺のお抱え絵師だった本郷家の養子になり、十数年、東寺大絵師職に就くが、元信の長男が急死したため狩野家に戻り、3代目「松栄」を助け狩野派を支えた。 |
《国宝》観楓図屛風(東京国立博物館) |
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1539年 |
72 | 一代で成り上がった地方絵師。狩野永徳のライバル。 |
《国宝》松林図屛風(東京国立博物館) 《国宝》楓図 《国宝》松に黄蜀葵図 《国宝》松に秋草図 ☆烏梟図屏風☆十六羅漢図屛風 (サントリー美術館) |
1543年 |
48 |
狩野松栄の長男。狩野派4代目。英才教育を受けたエリート絵師で桃山時代のスーパースター。 |
《国宝》檜図屏風 ☆唐獅子図屛風 (東京国立博物館) 西行物語絵巻 巻三 (東京藝術大学) |
1568年 |
26 |
長谷川等伯の長男。画技も高く、次代長谷川派の棟梁として将来を嘱望されていたと思われるが早世した。 |
《国宝》花桜図(サントリー美術館) |
1577年 |
78 |
狩野松栄の4男。狩野派で初めて徳川家の御用絵師になった。 |
《国宝》花下遊楽図屛風 (東京国立博物館) |
1578年
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60 |
浮世絵の先駆。 |
《国宝》洛中洛外図屏風 (東京国立博物館) ☆浄瑠璃物語絵巻 ☆をくり(小栗判官絵巻)巻一、二(東京藝術大学大学美術館) |
生没年不詳 |
琳派の祖。町絵師から一流絵師になった。 |
《国宝》源氏物語関屋澪標図屛風 (静嘉堂) 扇面散屏風 (東京藝術大学) 西行物語絵巻 (五島美術館/出光美術館蔵) |
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1602年 京都 |
72 |
狩野永徳の孫。16歳で徳川幕府の御用絵師になる。神童と呼ばれ、永徳の再来と絶賛されていた。江戸時代の狩野派の全盛の基礎を固め、「画壇の家康」とも言われている。 |
新三十六歌仙図帖(五島美術館/東京国立博物館蔵) |
1652年 大阪 |
72 | 狩野安信に画を学び、菱川師宣らに刺激を受け風俗画を確立。1698年三宅島に流罪。11年後大赦により江戸へ戻る。芭蕉に師事し俳諧をよくした。 |
朝暾曳馬図(静嘉堂) |
1658年 京都 |
59 |
京都の呉服商「雁金屋」の次男坊として生まれ育った。抜群のデザインセンスを持つ。宗達の絵を模写するなどその画風を学び、林派を再興させた。 |
《国宝》燕子花図屏風
《国宝》紅白梅図屏風 風神雷神図屛風(東京国立博物館) 紅白梅図屏風、鹿鶴図屏風(静嘉堂) |
1682年 愛知 |
71 | 肉筆美人画の第一人者。肉筆画専門の絵師で、生涯版画は一切手掛けなかった。 |
風俗図巻(東京国立博物館)
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1716年 京都 |
84 |
緻密な細部描写。「鶏の画家」と呼ばれている。鶏を飼って観察していた。 一生独身。変わり者。 |
《国宝》動植綵絵(東京藝術大学/日本美術をひも解くー皇室、美の玉手箱) |
1733年 京都 |
62 |
円山派の祖。それまではメモでしかなかった写生を一つの絵画技法として確立した。 親しみやすくてわかりやすい画風。温厚な人柄。 |
江口君図(静嘉堂) 西王母・寿老図、猛虎図、狗子図、紅葉白鹿図、 相生松図(府中美術館/春の江戸絵画まつり 普通の系譜「奇想」があるなら「ふつう」もありますー 京の絵画と敦賀コレクション) 牡丹孔雀図(東京藝術大学大学美術館) |
生年不詳 ~1694年 |
76 |
浮世絵の確立者。 肉筆で美人画を描いた。独自の美人様式を確立。 |
十二か月風俗図巻(静嘉堂) 見返り美人図(東京国立博物館) |
1760年 江戸 |
89 |
浮世絵の風景画を確立。世界一有名な日本画家。ゴッホやモネなどに影響を与えた。「富嶽三十六景」を見たドビュッシーは「海」を作曲した。 19歳で勝川春章の門下に入る。 36歳~林派。39歳から~流派に属さない。挿絵、版画、肉筆画、版本などあらゆるジャンルで活躍した。 気位高く、短気でケンカ早い。奇人変人。改名30回以上。「北斎」の名の由来は北斗七星。引っ越し93回。旅行好き。二度の結婚。娘のお栄(応為)も浮世絵師。北斎の晩年の作品はお栄がサポートしていたと言われている。 |
吉原妓楼の図、桜下遊女と禿図(静嘉堂) 富嶽三十六景、画本狂歌、肉筆画帖、諸國名橋奇覧、百物語/こはだ小平二 、笑ひはんにや、百人一首うばがゑとき、弘法大師修法図、絵手本帖 (サントリー美術館/大英博物館 北斎―国内の肉筆画の名品とともに―) |
1761年 江戸 |
49 | 尾形光琳様式を江戸で再興した江戸琳派の祖。 |
夏秋草図屏風(東京国立博物館)
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1793年 江戸 |
49 | 南画様式を整えた文人画家。 |
《国宝》鷹見泉石像(東京国立博物館)
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1797年 江戸 |
62 |
風景版画の巨匠。歌川豊広に師事。叙情性と親しみやすい風景画。 |
東海道五十三次、武陽金沢八景夜景(静嘉堂) |
1828年 江戸 |
66 |
狩野派の日本画から洋画家に転向。日本人初の「洋画家」。 武家の生まれで剣術の師範の跡取りだったが画家へ。 |
鮭、栗子山隧道(東京藝術大学) |
1856年 江戸 |
51 |
ミレーの「落穂拾い」を見て感動し洋画家を目指す。 日本近代洋画界の先駆者。情感あるリアリズムな画風。 20歳:工部美術学校でイタリア人画家フォンタネージ(バルビゾン派の系統)に師事。 44歳の時パリ万博出品を機に渡仏。留学。 |
グレーの洗濯場(アーティゾン美術館) 春畝(東京国立博物館) 収穫(東京藝術大学) |
黒田清輝
1866年 鹿児島 |
58 |
「日本近代洋画界の父」と呼ばれる。 20歳:法律家を目指して渡仏したが画家に。9年間滞在。ラファェル・コランに師事。外光表現を日本にもたらした。 日本における洋画アカデミーを確立。 |
湖畔、読書etc(東京国立博物館)生誕150年 黒田清輝-日本近代絵画の巨匠 裸体婦人像(静嘉堂) |
1867年 鹿児島 |
75 |
日本画から洋画へ転向。近代日本洋画の大家。浪漫派。 第1回文化勲章授章。 |
天平の面影、黒扇、東洋振り(アーティゾン美術館) |
横山大観 1868年 茨城 |
89 |
日本画の巨匠。東京美術学校(現東京藝術大学)第一期生。岡倉天心や橋本雅邦に学ぶ。第1回文化勲章を受章。 無類の酒好き。 |
飛泉(東京藝術大学) 瀟湘八景 (東京国立博物館) 生々流転(東京国立近代美術館)
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1875年 京都 |
74 |
美人画の巨匠。優雅で気品あふれる作品。 女性として初めての文化勲章受章。 |
晩秋(サントリー美術館)
雪(東京国立近代美術館) |
1878年 東京 |
94 |
美人画の巨匠と称されているが、江戸の風情を残す下町風俗や庶民の生活を描いた作品が多い。 13歳で浮世絵の流れをくむ風俗画家「水の年方」に師事。 17歳の特、父の経営する「やまと新聞」で挿絵画家としてデビュー。 文展出品を機に日本画を極める。 文化勲章受章。 |
築地明石町、新富町、浜町河岸、三遊 亭円朝像(東京国立近代美術館) 野崎村(国立劇場)
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青木繁
1882年 福岡 |
28 |
夭折の画家。未完の天才。 |
海の幸、わだつみのいろこの宮、魚夫晩帰、朝日etc(アーティゾン美術館/生誕140年 ふたつの旅 青木繁×坂本繁二郎)
運命(東京国立近代美術館) |
1882年 福岡 |
87 |
青木繁と常に比較されていた。 39歳渡仏。アカデミー・コラロッシで学ぶ。 文化勲章授章。 |
帽子を持てる女、放牧三馬etc(アーティゾン美術館/生誕140年 ふたつの旅 青木繁×坂本繁二郎) |
1884年 岡山 |
49 |
12歳から日本画を学び、20歳の時に竹内栖鳳の画塾竹杖会に入門。中国の文学や風物を題材にした作品を描く。 |
暮韻(東京藝術大学 ) 唐犬図(サントリー美術館) |
1898年 大阪 |
30 |
大正浪漫を代表する画家。 |
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川端龍子 1885年 和歌山 |
81 |
近代日本画の巨匠と称される。 洋画家を目指してアメリカに留学したが、ボストン美術館で観た「平治物語絵詞」に感銘を受け日本画に転向した。 文化勲章受章。 |
天橋図(国立劇場) 冨貴盤、紫雲を翔ぶ(五島美術館) |
藤田嗣治 1886年 東京 |
81 |
日本画の技術を生かし「乳白色の地塗りに細い線を引いた絵」が特徴。フランスで売れっ子画家になる。69歳の時にフランス国籍を取得しフランスで一生を送る。「レオナール・フジタ」で知られる。 |
猫のいる静物(アーティゾン美術館) 五人の裸婦etc(東京国立近代美術館) |
土田麦僊 1887年 新潟 |
49 |
17歳で竹内栖鳳に弟子入り。 日本画の近代化を進める役割を担った。 |
朝顔図(サントリー美術館) 柘榴に叺々鳥(五島美術館) |
中村彝 1887年 茨城 |
37 |
「夭折の画家」「孤高の画家」「洋画の天才」といわれている。 レンプラント、ルノワールに傾倒。 新宿中村屋の「中村屋サロン」での交流関係が縁で代表作「エロシェンコ氏の像」を描き肖像画の最高傑作と評された。結核。 |
少女(中村屋サロン美術館) 自画像(アーティゾン美術館) エロシェンコ氏の像、田中館博士の肖像、大島風景(東京国立近代美術館)
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1887年 大阪 |
43 |
「裸婦の楢重」と呼ばれた。 |
帽子をかぶった自画像(アーティゾン美術館) ラッパを持てる少年(東京国立近代美術館) Nの家族 |
1888年 京都 |
67 |
19歳渡仏。アカデミー・ジュリアンで学ぶ。セザンヌの写実性に心奪われる。 文化勲章授章。 |
薔薇(アーティゾン美術館) 金蓉(東京国立近代美術館) |
1891年 東京 |
38 |
黒田清輝に師事。ルネサンス時代のドイツの画家デユーラーに傾倒。 娘の麗子の像は約60点にも及ぶ。 |
麗子微笑(東京国立博物館) 麗子像(アーティゾン美術館) 道路と土手と塀(切通し之写生 )(東京国立近代美術館) |
1891年 京都 |
84 |
多作の画家。 文化勲章授章。 |
婦女喫茶図、松桜柳図(サントリー美術館) |
1895年 福岡 |
38 |
前衛画家(主に抽象的で現実を越えた絵を描く画家) 川端康成と犬友。 |
海、母子、月花(東京国立近代美術館) |
1897年 鹿児島 |
80 |
前衛画家として19歳で画壇デビュー。渡仏。 エキゾチックでロマンティックな美人画。 |
(SOMP美術館) |
1898年 大阪 |
75 | 13歳で鏑木清方に入門。 | 娘道成寺を踊る吾妻徳穂(国立劇場) |
1898年 大阪 |
30 |
26歳渡仏。パリの裏街を描いた。 結核。 |
テラスの広告(アーティゾン美術館) |
1899年 福島 |
20 | 16歳の時、二科展で安井 曾太郎の絵に感銘。色彩に目覚める。朱色を好んだ。神経衰弱。 |
子供(アーティゾン美術館) 三星(東京国立近代美術館) 信仰の悲しみ |
1908年 横浜 |
90 |
戦後を代表する日本画家。 25歳ドイツへ留学。 文化勲章授章。 |
(東京国立近代美術館/生誕100年 東山魁夷展) |
1909年 |
85 |
世界各地を取材し、名画を残している。文化勲章授章。 |
瀑(国立劇場) |
1911年 神奈川 |
84 |
東京美術学校を退学して渡欧。パリ大学で学ぶ。 前衛芸術家。東京美術学校大阪万博のシンボル「太陽の塔」が有名。 「芸術は爆発だ」という名言を残した。 |
夜明け(東京国立近代美術館) 明日の神話(渋谷マークシティ) |
1930年 広島 |
79 |
遥かなシルクロードを描く。 文化勲章授章。 |
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<本>
・日本絵画の楽しみ方完全ガイド/細野正信♥♥
・知識ゼロからの日本絵画入門/阿河内眞美♥♥
・すぐわかる画家別近代日本絵画の見かた/尾崎正明♥
・教科書に出てくる日本の画家/永井邦夫♥
・あやしい美人画/松嶋雅人♥♥
・すぐわかる日本の美術/田中日佐夫♥
・一目置かれる知的教養 日本美術鑑賞/秋元雄史♥♥
・もっと知りたい葛飾北斎/永田生慈♥♥
・ようこそ北斎の世界へ/日野原健司♥♥
・北斎七つのナゾ/中右瑛♥
・青木繁/高橋沙希
・竹下夢二新装版/石川桂子
・竹下夢二かわいい手帖/石川桂子♥♥
・いちからわかる円山応挙/岡田秀之♥♥