読書備忘録

2018年2月
太陽の棘原田マハ

実話に基づいた物語。著者の熱い想いが込められています。 終戦直後の沖縄が舞台。精神科医の米軍軍医と沖縄の画家たちの交流に、涙なくしては読めません。深く感動。この本を読むことができて幸せに思います。

「沖縄の言葉に、イチャリバチョーデー、というのがあります。出会った人は、皆、兄弟である。そういう意味です。兄弟になれば、皆で歌って踊るんです」という文章は、私のイメージする沖縄そのもの。本当は、とても想像ができないほど壮絶で悲惨な地上戦があった沖縄なのに…。 「国と国とが争わないように。人と人とが争わないように。」と思わずにはいられません。→文藝春秋BOOKS


2017年7月6日

『大きな森のおばあさん』天外伺朗

先日、河口湖旅行の際に、レイクベイクというベーカリーに寄ったのです。

素敵なベーカリーで、本がたくさん置いてあり、そこで1冊の童話に出会いました。干ばつの危機に直面した象さんのお話です。

生きること、死ぬこと、自分が大きな命の一部で、すべてが繋がっているということ、 環境問題についても考えさせられました。

「この本に出合うために、今、私は河口湖にいるんだわ。神様、ありがとうございます」と思ったほど、素晴らしい童話でした。ぜひ、多くの方に読んでいただきたいです。

著者の天外伺朗氏の本は何冊か読んでいるのですが、この童話は知りませんでした。10年も前に発売されていたのです。 地球交響曲の龍村仁監督から聞いた実話をベースとして作られたそうです。地球交響曲第一番に出てくるエレナのことです。

10年以上前にラピュタ阿佐ケ谷で鑑賞して、感動したことを思い出しました。 動物保護活動家のダフニー・シェルドリック氏は象牙密猟者によって親を殺された象の赤ちゃんを動物孤児院で育て、野性に返す活動を30年以上に渡って続けていました。 エレナは、ダフニーに始めて育てられたメスの象です。とっても優しくて賢い象なのです。

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2015年6月26日

『イニシエーションラブ』乾くるみ

今日は電車に乗るので、長女のお勧めの本を1冊鞄に入れました。映画化もされた「イニシエーションラブ」 電車の中では読み終わらず、自宅で続きを読みました。読み終わると、次女が「わかった?」と聞いてきました。 「何が?」と尋ねると、 「解説読んだ?静岡県は日本一『鈴木』が多いって」

最後のページで「あれ?」とは思ったのに、次女に言われるまで気が付かなかった自分が悔しい。 それにしても、過激なラブシーンが出てくるこの本を次女まで読んでいたとは。 高校生になった次女に「過激だけど、年齢的に早くない?」と聞くと、みんな読んでいるとのこと。 そうなのね……。


2014年10月21日

『世界から猫が消えたなら』川村元気

長女が好きだと言うので読んでみました。

「何かを得るためには、何かを失わなくてはね。」あたりまえのことだと、母さんは言った。人間は何も失わずに、何かを得ようとする。でもそれは奪う行為に他ならない。誰かが得ているそのときに、だれかが失っている。誰かの幸せは、だれかの不幸の上に成り立っているのだ。そんな世界の法則を、母さんは僕によく話していた。」という文章があり、私は長女に「素敵なストーリーだと思うけれど、その文章にママは共感できないし、そういう考え方はママには全くない。自分に起きることは自分が引き寄せていると思うし、幸・不幸は自分の心が決めることで、他人とは関係ないことだと思う」と話しました。

すると長女は、「私は共感できる。ママはポジティブな人間だから、そう思うのかもしれないけれど、世間の過半数の人は共感できるんじゃないかな」と言いました。


2013年3月25日

『樹木たちはこう語る』ドロシー マクレーン

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エバーフレッシュの新芽がどんどん成長しています。我が家には現在25種類32鉢の観葉植物がいます。

昨年の話ですが、大型スーパーにある花屋さんのレジの端にいた小さな観葉植物が私を呼んだのです。

レジの人に「この観葉植物をください」と言うと、「病気になっていて処分するのでお売りできない」とのこと。 私はどうしても家に連れて帰りたいと思いながら、その観葉植物をじっと見ていました。すると、「ダメになってしまってもよろしければ差し上げます」と言ってくださったのです。 無事に連れて帰ることができて、何もしていないのに元気に育っています。

6年ほど前に、動植物や自然のエネルギーとコンタクトすることのできる世界的にも有名なドロシーマクレーンの二泊三日のワークショップが長野で行われました。 当時ドロシーは86歳。来日は最後になるのではと言われていたため、小学生二人の母であった私が自分の為に3日も家を空けるというのは大変わがままなことだったのですが、夫も娘たちも気持ちよく送り出してくれて、参加することが出来ました。

ワークショップでは動植物や自然のエネルギーとコンタクトする方法を教えていただきました。 私は幼少の頃から多少エネルギーを読むことができましたが、それは無意識に読んでいたもので、ドロシーからは意識して動植物や自然の声を聞く方法を教えていただきました。

私がピアノを弾くと娘たちは下手くそだと言いますが植物たちは喜びます。娘たちがピアノを弾くともっと喜びますが(笑) 誰かが疲れて帰ってくると、植物たちは沢山の愛で癒してくれます。だから私たち家族はいつも元気なのです。ありがたいですね。


2003年2月

『スキップ』北村薫

17歳の女子高生・真理子が寝入ってしまい、目を覚ますと25年もの時を越え、夫と17歳の娘がいる42歳の国語教師になっていたという話。

心は17歳なのに身体は42歳。そしてその間の記憶というものが全くありません。 心と身体、時のギャップの狭間の中、真理子は今という時を一生懸命に生きることを決心します。

真理子の立場、娘の立場、夫の立場になって読んでみました。なんだか切ないです。 時について考える私。夫に聞いてみました。「いつの時に戻りたい?」

「高校生の時かな。やっぱり大学生の時。戻るというより止まってほしいなあ」

「どうして、止まってほしいの?」

「お金も時間も自由に使えたから」という返事。 なんだか胸が痛くなりました。小遣い足りないかな?それに、私としては「戻りたくない」とか「私とつき合っていた頃」とか「新婚の頃」とか言って欲しかったのに。

「今が一番いい」と私は思っているのに、夫は違うのかな?


2003年2月

『本を読む女』林真理子

主人公「万亀」は著者の母親がモデルです。万亀は駅前で手広く菓子商を営む裕福な家庭に生まれました。 読書が大好きな女の子です。「ずっとずっと本を読んで暮らしたいなあ」と思っています。しかし父が死に、戦争が始まります。昭和初期という時代を背景に時間は流れていきます。 色々な物事の中でも読書を糧に強く生きていく万亀。 時代の流れに巻き込まれ、決して幸せだとはいえないかもしれない万亀の半生。でもこの小説からは、とても温かいものが流れてきます。 著者の母親への優しいまなざしを感じることが出来ました。


2003年2月

『ワッハハ佐枝子のひまわり人生』米沢佐枝子

毎月、「あなたと健康社」というところの料理教室に通っています。著者はそこの料理講師。大柄で少々恐い感じがするのですが、笑うと、とても優しいお顔になる先生。

昨日料理教室があったので、本を購入して布団の中で一気に読みました。  

子宮癌を患い、身長が164cmもあるのに体重が40㎏しかなかったなんて信じられません。 そんな過去があったとは。 厳しさの中にも何ともいえぬ優しさがあるのは、いろいろなことを乗り越えてきていらっしゃるからなのですね。  

著者はブラジルで発病し、現地の医師からマクロビオティックを勧められ、日本に戻って来てからも熱中。 出張講師を務めるようになり、陰陽を踏まえた玄米菜食の実習指導、健康相談を行うようになります。 しかし、自分の健康状態は良くないまま。陰陽の信念に凝り固まり、果物も食べることが出来ません。 そんな状態に疑問を感じ悩んでいた時に、「あなたと健康」主催の東城百合子氏に出会い、心身の健康を取り戻します。 そして、癌も手術せずに完治します。

病気の人や食事法で悩んでいる人にお勧めの本です。

著者が包丁で手を切った時に、東城先生に「あんたが悪いのよ!」と怒られた話があります。 「大変ね。」「大丈夫?」などとは言って下さらないんですか?誰だって怪我くらいするのに…。」 しかしそれ以来、私はまったく手を切らなくなりました。 手を切るのは単に不注意ではすまされない。それは、今その瞬間に十分に生きていないからなのでした。 ニンジンを切っている最中に、過去の不幸に胸を痛めているとしたら、その人の命は、今ではなく、 過去にしか生きていません。 ダイコンを切っているのに、先々の心配から離れられない人は妄想の未来の中にしか生きていません。いずれの場合も、現在の瞬間には生きていないのです。包丁を握っている本人は、今そこで息をして いるのに実は中身は空っぽ。 怪我という字は、読んで字のごとく私が変だという意味。変なはずです、 中身が空っぽなのですから。とすれば…手を切るのは当然のこと。全て本人の責任。 まさに、「あんたが悪い」のでした。 それ以来、私は自分自身に言い聞かせる気持ちで生徒さんに言うようになりました。 「ニンジンを切る時はニンジンのことだけを思うのよ。他のこと考えながら料理しないでね。 すると生徒さんも、手を切らなくなりました。そして、手を切らなくなった私たちは、以前よりは少し、 しかし確実に、かけがえのない今この時を、味わい喜び生きているようになっているのに違いないのです。

 

私も早速リンゴを切る時にリンゴのことだけを考えてみました。「なんて可愛いの、リンゴちゃん♡ いいにおい。美味しそう。種も小さくて可愛い♡」 今までタダのリンゴに過ぎなかったのに、もう自分の娘のように思えます。 (なぜか女の子。余談ですが、3歳の次女は、犬は男の子で猫は女の子だと思っています)


2003年1月 

『死にゆく者からの言葉』 鈴木秀子 

先日、私は友人に「決心しても、なかなか実行できないし、なりたい自分に全然なれないでいる」と何かの話の延長で言ったのです。

次の日、その友人が手紙を添えて1冊の本を持ってきてくれました。 鈴木秀子著「死にゆく者からの言葉」という本です。 実は私も鈴木秀子さんの本はほとんど読んでいて、この本も読書済みだったのですが、もう一度読んでみることにしました。 友人の手紙には「本で涙を流すなんてあり得ないと思っていた私が涙をボロボロ拭きもせずに読み通した初めての本でした。」と書いてありました。 そして鈴木秀子さんの講演会に行くようになったこと。 そこで「人は同じことを200回くらい言われないと身に付かない」とよく話されること。 「だから1回や2回ぐらいで理想に近づけないからって大丈夫。なにしろ200回ですから」とも手紙に書かれていました。 そうか。200回ね。ありがとう


2003年1月

『愛は裁かず子どもが立ち直る決めてとなったもの』伊藤重平 

著者は長年教育界に携わった後、カウンセラー・家庭裁判所の調査官として多くの子どもたちと心の交流をし、少年犯罪者の更正にも尽力されました。

この本では、解決を求める子どもたちが、「ゆるされること」によって立ち直っていくプロセスをいくつもの事例で紹介されています。 「ゆるされたこと」が的確に伝わらないと子どもの行動は変化しません。許したことを意識的に伝える方法がわかり、勉強になりました。

<感銘を受けた言葉>

◎ゆるすことは愛となる。

◎家庭の人間関係を抜きにして困った子というようなものは考えられない。

◎子供に恥をかかせてはならない。子どもに恥をかかせ、子どもの自尊心を傷つけることは子どもに対して愛ではない。

◎心を口でたたかない。

◎それをやってはいけませんと世話をやくのはやめて、あたりまえのことをほめるようにする。 ◎思いやりのある子は思いやりのある親によって育つ。

◎相手の発言を裁かず受容する。

◎「ゆるしてやる」のではなく「ゆるすのが当然」と理解したとき人は本当にゆるすことができる。

◎真にゆるされた子は、また他の人をゆるすことができるようになるのである。  

私は優しい人間になりたいと常日頃思っています。そして、「どちらかというと優しいほうかも」と図々しくも思っていたのです。 しかし、この本を読んで、本当に優しい人とは決して人を裁かず許すことができる人なのだということがわかり、恥かしくなってしまいました。

今までに夫や子どもを裁いてしまうことが多々ありました。反省しきりです。この本は自分を省みる機会を与えてくれる良書です。 


2003年1月

『ラマー愛と魂への旅』ダレルT.ヘア

灰谷健次郎が訳している。 人間として生を持つ前に暮らす場所。 死んだ後でしばらく暮らす場所。 そこに虹の羽を持つラマーという一匹のウサギがいた。 人間として生まれたい。 人間に生まれたら何をしたらいいのか、何をしたいのかを探求する。 そして全てを理解したとき、ラマーは人間として生まれる。 とても優しく絵本のように書かれているけど内容は深い。 スピリチュアルな本が好きな方にはお勧め。