クラシック

作曲家
  人気曲

バッヘルベル

 

52

(1653生 ドイツ )バロック期のオルガンの巨匠。バッハ一家と親交。バッハの作品に影響を与えた。

カノン

 

ヴィヴァルディ

 

63

 

(1678生 イタリア) バロック協奏曲の第一人者。「赤毛の司祭」と呼ばれていたが司祭にならず音楽学校のヴァイオリン教師に。

四季

ラ・フォリア

 

バッハ

65

(1685生 ドイツ)バロック音楽の巨匠。音楽の父。近代音楽の基礎を築いた。音楽一族。二度の幸せな結婚生活。子沢山(20人)

主よ、人の望みの喜びよ

G線上のアリア

シャコンヌ

管弦楽組曲第2番より♥ 

 

ヘンデル

74

(1685生 ドイツ→イギリス)劇場音楽に情熱を傾け40曲を超えるオペラ作品を残した。バッハと並んで近代音楽の基礎を築いた。

ハレルヤ、水上の音楽、メサイア

 

ハイドン

77

(1732生 オーストリア)交響曲を100曲以上書いたシンフォニーの父。「パパ・ハイドン」と敬愛された。生徒モーツァルトとベートーヴェンとともにウィーン古典派音楽を確立。

時計、軍隊、ロンドン、告別、驚愕

 

ボッケリーニ

62 (1743生 イタリア→スペイン)チェロ奏者として活躍後、スペイン官廷の音楽家に。室内楽様式の確立貢献。

メヌエット

 

モーツァルト

35

(1756生 オーストリア)5歳で作曲を始め、6歳で一流ピアニストに。天才。

メヌエットトルコ行進曲

交響曲第40番ト短調、交響曲第41番(ジュピター)

ベートーヴェン

57

(1770生 ドイツ)ハイドンから作曲を学んだ上に独自の考えを入れて不滅の作品を幾つも残した巨匠。「慈悲深く優しく、努力の人」と言われている。恋多き情熱の人だったが生涯独身。貴族から民衆のための音楽を作った。

エリーゼのために、月光、英雄、運命、田園、歓びの歌、悲愴

ウェーバー

39

(1786生 ドイツ)ロマン派の作曲家。ドイツオペラの巨匠。指揮者としても名声が高く、指揮棒を初めて用いた人物だと言われている。(本当はルイ・シュポーア) 

 舞踏への勧誘。魔弾の射手。

ロッシーニ

76

(1792生 イタリア)イタリアオペラの巨匠。37歳の時、「ウィリアム・テル」を完成させると、残り40年の人生を悠々自適に過ごした。食通で有名。

セビリアの理髪師。弦楽ソナタ

シューベルト

31

(1797生 オーストリア)貧困だったため国立の合唱団養成学校に入学。短い生涯の中で600曲以上の歌曲を作曲。「ドイツ歌曲の王」と称されている。ベートーヴェンを慕っていた。

野ばらピアノ五重奏曲「ます」

未完成

ベルリオーズ

66

(1803生 フランス)フランス近代音楽の祖。

幻想交響曲

メンデルスゾーン

38

 

(1809生 ドイツ)裕福な家庭で何不自由なく育った。多才。ゲーテと親交。音楽院の教授として若い音楽家を育てた。

真夏の夜の夢、春の歌

ショパン

39

(1810生 ポーランド→フランス)「ピアノの詩人」繊細で詩情に溢れる音楽。文化的な家庭で育ち、気品があり、品行方正。完璧主義。美意識が強く浪費家。花が大好き。草食系の性格。バッハとモーツァルトを敬愛。病弱。ジョルジュ・サンドと熱愛、9年間の交際。画家ドラクロワと親交。

幻想即興曲、ノクターン第2番、別れの曲、革命、子犬のワルツ、雨だれ、英雄ポロネーズ

シューマン

46

(1810生 ドイツ)雑誌「新音楽時報」を創刊。多くの作曲家に貢献した。晩年、精神に異常をきたした。

トロイメライ

リスト

74

(1811生 ハンガリー)「ピアノの魔術師」8歳で演奏会の出演し「モーツァルトの再来と」言われた。派手。肉食系の性格。美男子。

ハンガリー狂詩曲第2番、ラ・カンパネラ

愛の夢

ヴェルディ

87

 

(1813生 イタリア)イタリアオペラの巨匠。 50年以上も作曲を続けた。愛妻家。

乾杯の歌(椿姫)、アイーダ

ワーグナー

70

(1813生 ドイツ)ベートーヴェンの作品に感動して音楽家を目指す。

熱狂的な支持者「ワグネリアン」が多くカリスマ的な存在。リストの娘と2度目の結婚。

ワルキューレの騎行

グノー

75

(1818生 フランス)

フランス音楽再興の大家。

アヴェ・マリア、ファウスト

オッフェンバック

61 (1819生 ドイツ→フランス)パリに自分の劇場を持ち、大人気。「オペレッタの王」と呼ばれた。 天国と地獄

ブルックナー

72 (1824生 オーストリア)偉大な交響曲作曲家。教会オルガン奏者としても活躍した。ロリコン?  交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」

スメタナ

60 (1824生 チェコ)愛国家。「チェコ近代音楽の父」と呼ばれている。幼少の頃からの耳の難聴が50歳で悪化し、モルダウ(わが祖国)が作曲されたときには完全に失聴していた。晩年は精神病院に入院。

モルダウ

ヨハン・シュトラウスⅡ世

73 (1825生 オーストリア)170曲ものワルツを作曲したワルツ王。

美しく青きドナウ

フォスター

37 (1826生 アメリカ)「アメリカ音楽の父」

おお、スザンナ、ケンタッキーのわが家、金髪のジーニー、夢見る人

ボロディン

53 (1833生 ロシア)医学と音楽の二足のわらじ。

ダッタン人の踊り、ノクターン

ブラームス

63

(1833生 ドイツ)演奏旅行中にシューマンに才能を見出され、音楽家の道へ。

ベートーヴェンを尊敬し長い間交響曲を書かなかった。

ハンガリー舞曲第5番

交響曲第1番

 

サン=サーンス

86

(1835生 フランス)3歳半でピアノ曲を作曲し神童と言われた。

白鳥、交響曲第3番

ビゼー 37

(1838生 フランス)劇音楽作曲家の地位を築いた。

アルルの女カルメン

美しきパースの娘

ムソルグスキー

42

 (1839生 ロシア)お坊ちゃまだったが晩年は貧困。酒に溺れ、病に倒れた。

展覧会の絵

チャイコフスキ

53

(1840生 ロシア)内気で繊細。

白鳥の湖、交響曲第6番「悲愴」

ドヴォルザーク

63

(1841生 チェコ)ブラームスに才能を見出された国際的な大作曲家。50歳から2年半アメリカの音楽院の教授。

交響曲第9番「新世界」ユモレスク

グリーグ

64

(1843生 ノルウェー)「北欧のショパン」と言われている。

ピアノ協奏曲

サラサーテ

64

(1844生 スペイン)偉大なヴァイオリンの名手でもある作曲家。

ツィゴイネルワイゼン

リムスキー=

コルサコフ

64

(1844生 ロシア)34年間音楽院の教授。多くの弟子を養成。

シェエラザード

フォーレ

79

(1845生 フランス)オルガニストの後、パリ音楽院の院長になった。近代フランスの大作曲家。サン=サーンスと親友

夢のあとに、レクイエム

タレガ(タルレガ)

57

(1852生 スペイン)近代ギター音楽の父。

アルハンブラの思い出

エルガー

76

(1857生 イギリス)近代イギリス音楽の始祖。40歳を過ぎてから有名になる遅咲き。独学で演奏や作曲を学んだ。 

愛のあいさつ威風堂々

ブッチーニ

65

(1858生 イタリア)イタリアオペラの巨匠。

ある晴れた日に

マーラー

50

 

(1860生 オーストリア)超一流の指揮者としてもヨーロッパとアメリカで活躍。フロイトの診察を受診していた。

 交響曲第5番嬰ハ短調

サティ

59

 

(1866生 フランス)現代音楽の先駆的存在。アウトサイダー。

 ジムノペディ第一番

ジュ・トゥ・ヴー 

ドビュッシー

55

(1862生 フランス)印象派音楽を開発。女性遍歴が凄かった。子煩悩。

亜麻色の髪の髪の乙女月の光、アラベスク第1番

シュトラウス

85

(1864生 ドイツ)名指揮者としても活躍。

セレナーデ

ラフマニノフ

69

 

 (1873生 ロシア→アメリカ)ピアノのヴィルトゥオーゾ(超一流の演奏家)、指揮者としても国際的に活躍。

 ピアノ協奏曲第2番

ホルスト

59

 (1874生 イギリス)大学卒業後はトロンボーン奏者だった。

 惑星、

吹奏楽のための第一組曲

ラヴェル

62

(1875生 フランス)「管弦楽の魔術師」22歳でフォーレに作曲を学ぶ。サティの音楽にも影響を受ける。生涯独身。

ボレロ

バルトーク

64

 

(1881生 ハンガリー王国)民俗音楽学の祖の一人。東ヨーロッパの民族音楽を収集:分析した。

ルーマニア民族舞曲

ガーシュウィン

38

 

(1898生 アメリカ)ニューヨーク生まれの売れっ子作曲家。

ラブソディ・イン・ブルー