画家(備忘録)
印象派・ポスト印象派・新印象派
(1830年デンマーク生・73歳没)印象派。 25歳:画家を志し、渡仏。 44歳:第1回印象派展に出品。 (全8回の印象派展すべてに参加) グループの最年長。温厚で人望が厚く画家たちのまとめ役。 <鑑賞した作品>『耕された土地』『ルーヴル美術館』『2月、日の出、バザンクール』『朝、陽光の効果、エラニー』『エラニーの日没』『テュイルリー宮庭園』 (1832年フランス生・51歳没)プレ印象派。「印象派の父」と評される。明るい「黒」を巧みに使った絵。 パリの高級官僚の家庭に生まれる。 29歳:サロン初入選。 ☆作品『草上の昼食』『オランピア』など。 <鑑賞した作品>『笛を吹く少年』『シャンパングラスのバラ』など (1834年フランス生・83歳没)印象派。 「踊り子」や「水浴する女性」が代表的なモチーフ。 裕福な銀行家の長男として生まれ、大学は法学部に進学するが、絵を学ぶため21歳の時に国立美術学校に入学。 40歳:第1回印象派展に出品。 8回の印象派展のうち第7回以外は参加しているが、野外で風景を描くのではなく、アトリエ内で制作に励んだ。 デッサンを繰り返し、構図をしっかり決めてから描くという古典的な手法を用いて現代生活を描いたので「現代生活の古典画家」と評された。 50代~:右目の視力がほとんどなくなる。 ☆作品『エトワール』など。 <鑑賞した作品>『リハーサル』など。 (1839年フランス生・67歳没)ポスト印象派。 「近代絵画の父」と評される。山・静物画が主なモチーフ。 裕福な銀行家の家庭に生まれ、法科大学に進学するが、絵を学ぶため22歳の時にパリへ。 35歳:第1回印象派展に出品。 38歳:第3回印象派展に出品。その後印象派のグループを離れ、独自の画風を確立する。 43歳:サロン初入選。 <鑑賞した作品>『ポントワーズの道 サント= ヴィクトワール山、 レ・ローヴからの眺め』『庭園木々』『倒れた果物かご』『エトワール山稜とピロン・デュ・ロワ峰』『プロヴァンスの風景』『4人の水浴の女たち』など。 (1839年フランス生・59歳没)印象派。 裕福な実業家の家庭に生まれる。 18歳:ロンドン留学時に風景画の影響を受け23歳:画塾に入り、モネ、ルノワールらに出会う。 27歳:サロン初入選。 34歳:第1回印象派展に出品。 <鑑賞した作品>『霜の降りる朝、ルーヴシエンヌ』『オシュデの庭、モンジュロン』『フォンテーヌブローの森のはずれ』『カーディフの停泊地』『ロワン河畔、朝』『ロワン川のほとり、秋の効果』『 サン=マメス、ロワン川のはしけ』など。 (1840年フランス生・86歳没)印象派。 光と水の反射をカンヴァスに再現。鮮やかな色彩で描いた明るい風景画。睡蓮・積み草などの風景画が主なモチーフ。「光の魔術師」と評される。 25歳:サロン初入選。 34歳:第1回印象派展に出品した『印象、日の出』から『印象派』というグループの名称が生まれた。 50歳:時にジヴェルニーの土地と家を購入。庭に睡蓮が咲く池を作り、59歳から「睡蓮の」の連作を始める。 72歳:白内障と診断される。 <鑑賞した作品>『草上の昼食』『陽だまりのライラック』『ジヴェルニーの積みわら』『白い睡蓮』『税関吏の小屋・荒れた海』『ベリールの岩礁』『睡蓮』『エトルタ、アヴァルの崖』『睡蓮の池』『黄昏、ヴェネツィア』など。 (1841年フランス生・54没)印象派。 高級官僚の家庭に生まれる。ブルジョア階級のお嬢様。 20歳:カミーユ・コローに師事。 27歳:マネに出会う。 33歳:第1回印象派展に出品。(第4回以外出品) マネの弟と結婚。 身近な女性たちや母と子の交流などを描いた。 ☆作品『ゆりかご』『舞踏会にて』など。 <鑑賞した作品>『バルコニーの女と子ども』など。 (1841年フランス生・78歳没)印象派。 女性・子ども・家族の肖像が主なモチーフ。こだわりのモデルの衣装。やわらかいタッチの明るい画風。 19歳:陶器絵付師の工房に入り、見習工になる。 19歳:ルーブル美術館で描写を開始。 20歳:パリの画塾で学ぶ。モネやシスレーに出会う。 28歳・31歳:モネと制作。 33歳:第1回印象派展に出品。 47歳:リウマチ発病。 <鑑賞した作品> 『庭にて、ムーラン・ド・ラ・ギャレットの木陰』『髪かざり』『風景』『ノルマンディーの海景』『画家の庭』『レースの帽子の少女』『カーニュのテラス』『すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢』『すわる水浴の女』など。 (1844年フランス生・82歳没)印象派。 銀行家の家庭に生まれる。 18歳:美術アカデミーで絵を学び始める。 22歳:渡仏。 28歳:カミーユ・ピサロの下で学ぶ。第4回印30歳:憧れのドガと対面。 身近な女性たちや母と子の交流などを描いた。 <鑑賞した作品>『日光浴(浴後)』『 娘に読み聞かせるオーガスタ』など。 (1848年フランス生・54歳没)ポスト印象派。 17歳:商船の見習い船員として世界を周航。20歳:兵役でフランス海軍水兵となる。 24歳:パリの株式仲介商に務める。絵を描き始める。 31歳:ピサロの勧めで第4回印象派展に出品。(8回まで連続出品) 35歳:職を失い、絵に専念。ブルターニュに移住。 38歳:ゴッホに出会う。 40歳:アルルのゴッホの元へ行くが、ゴッホの耳切事件でパリに戻る。 43歳:楽園を求めてタヒチへ旅立つ。 49歳:貧困と病苦の末、自殺未遂。 明確な輪郭線、単純な形、平坦な面で表された鮮やかな色彩を総合して象徴的に表現する「総合主義」を確立。 <主な作品>『水浴する女たち』『黄色いキリスト』『タヒチの女』『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』など。 <鑑賞した作品>『白いテーブルクロス』『アリスカンの並木路、アルル』『マタモエ、孔雀のいる風景』 『マルティニークの村』など。 (1853年オランダ生・37歳没)ポスト印象派。光り輝く黄色。力強い色彩。「炎の画家」と評さる。850点以上の油絵(水彩画を入れると1000点以上、自画像37点)を描いているが、生前に売れた絵は『赤い葡萄畑』のたった1枚。 27歳:本格的な画家修業を開始。 33歳:パリで弟テオと暮らし始める。第8回印象派展で印象派の明るい色彩に出あう。 35歳:アルルに移り住む。10月からゴーガンと共同生活を始める。12月耳切事件。 36歳:精神療養院に入院。 37歳:ピストル自殺。 <主な作品>『星月夜』『夜のカフェテラス』『糸杉と星の見える道』 <鑑賞した作品>『ジャガイモを食べる々』『タンギー爺さん』『アルルの跳ね橋』『ヴィゲラ運河にかかるグレーズ橋』『種まく人』『ひまわり』『黄色い家』『アレクサンダー・リードの肖像』『花咲くアーモンドの枝』『薔薇』『麦畑とポピー』など。 (1859年フランス生・31歳没)新印象派。 新印象主義の創始者。光学理論を取り入れた点画の確立。 19歳:パリ国立美術学校に入学するが、兵役のため中退。 24歳:サロン初入選。 27歳:第8回印象派展に出品。 <主な作品>『サーカス』『グランド・ジャット島の日曜日の午後』など。 『ポール =アン= ベッサンの日曜日』など。 |
(1840年フランス生・76歳没) パステルや油彩で幻想的で神秘的な絵を描いた。 2018年10月『ルドンひらかれた夢』(ポーラ美術館) (1844年フランス生・66歳没) 税関で働きながら独学で絵を学んだ日曜画家。40歳を過ぎて初出展。独特な素朴さから「素朴派」とよばれる。死後に高く評価。 『フリュマンス・ビッシュの肖像』etc 2006年11月『ルソーの見た夢、ルソーに見る夢』(世田谷美術館) (1862年オーストリア生・55歳没) 『接吻』などの金箔を使用した絵が特徴の40代は「黄金色の時代」と呼ばれている。 2019年6月『クリムト展』(東京都美術館) ルオー (1871年フランス生・87歳没)キリスト、ピエロ、娼婦をモチーフにした作品が多い。哀しくも温かみを感じさせる絵。 葬儀は国葬。 ローランサン (1883年フランス生・72歳没) 透明感のある淡い色彩と簡素なフォルムが特徴。 舞台美術や衣装デザインでも大成功を収めた。 2023年4月『マリー・ローランサンとモード』(Bunkamura) |
1881年10月25日スペインに生まれる。 16歳:スペイン中の官立美術学校の試験を総なめにする。 19歳:親友カルロス・カサヘマスとパリへ。4か月後カサヘマスが恋の悩みでピストル自殺。ピカソの目に映るものは『青になった』 ☆青の時代(1901年 - 1904年) <主な作品>人生(1903) <鑑賞した作品>貧しい食事(1904) ☆バラ色の時代(1904年 - 1906年) 23歳:フェルナンド(23歳)と7年間同棲。 ☆キュビスム(立体派)の時代(1907年 - 1916年) 31歳:エヴァ(27歳・4年後結核で死没)に出会う。<主な作品>アヴィニョンの娘たち(1907) <鑑賞した作品>庭の家(小屋と木々)(1908) ☆新古典主義の時代(1917年 - 1925年) 37歳:オルガ(27歳・上流社会的気質)と結婚。(息子ポール) <主な作品>安楽椅子のオルガ(1917) <鑑賞した作品>母子像(1921)海辺を駆ける2人の女(1922)三人の女たち(1922) 女の顔 (1923)腕を組んですわるサルタンバンク(1923)アルルカンの姿のポール(1924) ☆シュルレアリスム(超現実主義)の時代(1925年 - 1936年) 45歳:マリーテレーズ(17歳)に出会う。のちに自死。(娘マイヤ) <主な作品>接吻(1925) 54歳:ドラ・マールに出会う。 <主な作品>ドラ・マールの肖像、泣く女、ゲルニカ(1937) <鑑賞した作品>女の頭部(1937) 61歳:フランソワズ・ジロー(21歳・画家の卵・のち自分の意思でピカソの元を去った)に出会う。10年に及ぶ関係。(二人の子どもクロード、パロマ) <鑑賞した作品>座る女(1949) 72歳:ジャクリーヌ(35歳)に出会う。2番目の妻。のちに自死。 <鑑賞した作品>帽子の女(1962)347シリーズ(1968)女の横顔(1969) 1973年4月8日(91歳死没) |